

近鉄日本鉄道吉野駅舎は、1928年3月25日に竣工しました。奈良県下の伝統的な民家に見られる建築様式を取り入れた木造大型建築物で、近鉄でも数少ないものとして知られています。? 吉野駅舎は、建築家である岩﨑平太郎が設計しました。岩﨑平太郎は、明治26年に下市町で生まれ、吉野実業学校(現在の奈良県立吉野高校)で建築を学びました。? 吉野駅舎は、2003年に第4回近畿の駅百選に選定されました。? 近鉄吉野線の前身である吉野軽便鉄道は、大正元年(1912年)に吉野ロー吉野駅(現在の六田駅)で開業しました。? 吉野軽便鉄道は、大正2年(1913年)に「吉野鉄道」に商号を変更しました。? 吉野軽便鉄道は、昭和4年(1929年)に大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道の前身)に合併されました。? 昭和16年(1941年)大阪電気軌道と参宮急行電鉄の合併により、新発足した関西急行鉄道の駅となりました。 昭和19年(1944年)戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併、近畿日本鉄道吉野線の駅となりました。 令和3年(2021年)無人駅化になりました。 駅の構造は櫛形3面4線のホームを持つ地平駅です。行楽シーズンに対応するため4線が整備されており、以前は通常期の日中は乗降分離が可能である2番線と3番線で発着を賄っていたが、2016年の「青の交響曲」運行開始後は在線時間が増えたため1番線も使用されている。ホーム有効長は4両になりました。 一日の乗降人員は500〜700人程度(公式データは2005〜2022年11月のデータ)(天候などで大きく変わります。)ですが、桜が咲くジーンズはかなりの人出になります。(公式データの公表はありません。) 吉野駅は無人化駅ですがこの観桜期間のみ、下車客対応として清算窓口が開設されてます。 電車の本数は特急1日1〜2本数、普通、急行などは1日2本数の運行をしています。 平日も休日もあまり本数の違いはありません。